九谷焼 - 茶器 - 抹茶碗

| トラックバック(0)
このエントリーをはてなブックマークに追加
K-1-0861.jpg

日本の陶磁器の銘品「九谷焼」の特集。第9回目です。

引き続き、「茶器」の特集。今回は、抹茶碗を紹介します。
茶道の茶道具の中でも、最も重要なのが「抹茶碗」。
侘び茶の世界においては、華美なものを退けるという意味をこめて、抹茶碗は陶器(土もの)が好まれます。そうした事もあり、陶磁器には長い年月培われた優れた伝統芸術を活かした抹茶碗が数多くあります。

また、日本の茶の湯では、季節や気分に応じて様々な茶碗を用います。
茶碗の形は 碗形のものが多いですが、筒形や平形・輪形・半筒・端反・沓形などがあります。天目形・井戸形のように、茶碗の特徴が形状名になっているものもあります。 

日本の陶磁器の中でも、「5彩の色使い」で豪快かつ繊細に描かれる「色絵の表現力」に特徴のある九谷焼。
九谷五彩と呼ばれる華やかな色絵・色彩に彩られた、伝統と文化を感じさせる、九谷焼の抹茶碗をご堪能下さい。

九谷焼は、敬老の日、金婚式、銀婚式の記念品・贈答品、父の日・母の日・誕生日プレゼントに、定年退職祝い、内祝い、還暦祝い、喜寿祝い、米寿祝い等の記念品として、人気の高い、陶磁器の名ブランド。 
長い歴史を持つ九谷焼は、鮮やかな「九谷五彩」の中に、土に命を注ぎ上絵に心を込める職人のひたむきな情熱と豊かで細やかな感性が見事に調和して表現されており、日本を代表とする陶磁器として国内はもとより海外まで知られ、多くの人達に支持され親しまれております。

※写真をクリックすると、美しい拡大写真がご覧になれます。
また拡大写真をクリックすると、その商品の販売サイトにジャンプします。
(売り切れの場合はご容赦下さい)


































九谷焼とは

 九谷焼の歴史は、江戸時代初期の1655(明暦元)年ごろにさかのぼります。加賀の支藩だった大聖寺藩の初代藩主・前田利治(まえだ・としはる)が、領内の九谷(現在の石川県山中町九谷)の金山で磁鉱が発見されたのに着目し、金山で錬金の役を務めていた後藤才次郎に命じて肥前有田で製陶を学ばせました。その技術を導入し、九谷に窯を築いたのが始まりとされています。

 九谷の窯は1730(享保15)年ごろに突然、閉じられてしまいましたが、原因はいまだに定かではありません。この間に焼かれたものが後世、古九谷(こくたに)と呼ばれ、日本の色絵磁器の代表として独特の力強い様式美が高く評価されています。

 古九谷の廃窯から約80年後、加賀藩営で金沢に春日山(かすがやま)窯が開かれ、再興九谷の時代に入りました。春日山窯の木米(もくべい)風、古九谷の再興を目指した吉田屋窯、赤絵細描画の宮本窯、金襴手の永楽(えいらく)窯など数多くの窯が出現し、それぞれに素晴らしい画風を作り出してきました。
 明治時代に入ってからは、九谷庄三(くたに・しょうざ)の彩色金襴手が有名となり、大量の九谷焼が海外へ輸出されました。今日の九谷焼は、各時代の窯の上絵付けの作風を源流に、以前にも増して活発な生産が続けられています。
前の記事へ | トップページ | 次の記事へ




トラックバック(0)

トラックバックURL: http://wx02.wadax.ne.jp/~bau-haus-com/cgi-bin/mtos/mt-tb.cgi/547





アーロン東京

シルバーアクセサリーのペガサス


100×60 ②
フラワーレメディ セラピストカウンセリング店
天然素材の和モダンな素材【ICHIZA】
シルバーアクセサリー【ペガサス】