母の日特集 - 九谷焼 - 花瓶

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2011年の母の日は、5/8。
母の日特集、第3回目です。
今回も引き続き花瓶をご紹介しますが、今日は、陶磁器から「九谷焼の花瓶」をご紹介したいと思います。
華やかな九谷五彩に彩られた美しい九谷焼の花瓶の数々。九谷焼ならではの伝統工芸美が堪能できます。

花瓶はそれ自体が芸術作品として発展してきました。芸術的に優れた花瓶は、花がない状態でも部屋の装飾となり、芸術作品として高い評価を得て来ています。
花瓶のデザインを専門とする芸術家は、花瓶デザイナーと呼ばれます。

伝統工芸品の中にも、優れた花瓶作品が多くあります。高い芸術性を持つ花瓶は多くの工芸品でも造形のモチーフとされます。その匠の技の芸術性の高さは、贈られた方の、感謝の気持ち・誠実な気持ち・豊かで上品な感性が伝わる、贈答品として相応しい品です。

九谷焼は、敬老の日、金婚式、銀婚式の記念品・贈答品、父の日・母の日・誕生日プレゼントに、定年退職祝い、内祝い、還暦祝い、喜寿祝い、米寿祝い等の記念品として、人気の高い、陶磁器の名ブランド。 
長い歴史を持つ九谷焼は、鮮やかな「九谷五彩」の中に、土に命を注ぎ上絵に心を込める職人のひたむきな情熱と豊かで細やかな感性が見事に調和して表現されており、日本を代表とする陶磁器として国内はもとより海外まで知られ、多くの人達に支持され親しまれております。

※写真をクリックすると、美しい拡大写真がご覧になれます。
また拡大写真をクリックすると、その商品の販売サイトにジャンプします。
(売り切れの場合はご容赦下さい)


































九谷焼とは

 九谷焼の歴史は、江戸時代初期の1655(明暦元)年ごろにさかのぼります。加賀の支藩だった大聖寺藩の初代藩主・前田利治(まえだ・としはる)が、領内の九谷(現在の石川県山中町九谷)の金山で磁鉱が発見されたのに着目し、金山で錬金の役を務めていた後藤才次郎に命じて肥前有田で製陶を学ばせました。その技術を導入し、九谷に窯を築いたのが始まりとされています。

 九谷の窯は1730(享保15)年ごろに突然、閉じられてしまいましたが、原因はいまだに定かではありません。この間に焼かれたものが後世、古九谷(こくたに)と呼ばれ、日本の色絵磁器の代表として独特の力強い様式美が高く評価されています。

 古九谷の廃窯から約80年後、加賀藩営で金沢に春日山(かすがやま)窯が開かれ、再興九谷の時代に入りました。春日山窯の木米(もくべい)風、古九谷の再興を目指した吉田屋窯、赤絵細描画の宮本窯、金襴手の永楽(えいらく)窯など数多くの窯が出現し、それぞれに素晴らしい画風を作り出してきました。
 明治時代に入ってからは、九谷庄三(くたに・しょうざ)の彩色金襴手が有名となり、大量の九谷焼が海外へ輸出されました。今日の九谷焼は、各時代の窯の上絵付けの作風を源流に、以前にも増して活発な生産が続けられています。
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