早くも梅雨です。
ジメジメ蒸し暑い日が続きますね。
さて、6月の第3日曜日は「父の日」です。
今年、2013年の父の日は、6月16日。
これからは、「父の日特集」として、父の日のお祝い・贈答に相応しい伝統工芸品をご紹介します。
今回は、ガラス工芸品による「酒器」のご紹介。
どれもガラス工芸として一級品の逸品です。
気品のあるガラス工芸品の贈り物。日頃の感謝の気持ちを込めて、父の日のプレゼント・ギフトにお薦めです。
※下記の写真をクリックすると、美しい拡大写真がご覧になれます。
また拡大写真をクリックすると、その商品の販売サイトにジャンプします。
(売り切れの場合はご容赦下さい)
※拡大表示された画像は、右上の「X」ボタンをクリックするか、escキーで元に戻ります。
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バカラ | ||
ボヘミアガラス |
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ベネチアガラス |
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江戸切子 |
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バカラの世界
1764年の創設以来、最高のクオリティを誇る制作技術を源泉に、バカラはその影響を世界中に拡大し続けてきました。
クリスタルの魔法にインスピレーションを受けた偉大な芸術家たちの作品は、バカラのアール・ド・ヴィーヴル(生活芸術)のコレクションに結実しています。
バカラは、このようにしてフランスの伝統的な生活様式を世界的なものにしてきたのです。
フィリップ・スタルクが思い描いたように、このブランドの本拠であるパリのバカラメゾンは、最も美しいクリエイションが集まる場所として、その最上の美を体現しています。
1764年の創設以来、最高のクオリティを誇る制作技術を源泉に、バカラはその影響を世界中に拡大し続けてきました。
クリスタルの魔法にインスピレーションを受けた偉大な芸術家たちの作品は、バカラのアール・ド・ヴィーヴル(生活芸術)のコレクションに結実しています。
バカラは、このようにしてフランスの伝統的な生活様式を世界的なものにしてきたのです。
フィリップ・スタルクが思い描いたように、このブランドの本拠であるパリのバカラメゾンは、最も美しいクリエイションが集まる場所として、その最上の美を体現しています。
ボヘミアガラス(BOHEMIA GLASS)
ボヘミアガラスの神秘の輝きは、ただ人的に施されたきらびやかな装飾だけでなく、ガラスの特性、外観、光沢、カット、ガラスの表面の光の屈折、厚みの差による光学的効果などから生みだされています。
幾世紀にもわたって刻まれてきたボヘミアガラスの伝統芸術。この透明感ある輝きは、まさに「光」の芸術と言えるでしょう。
「森の湖の国」で育った天然の素材と600年の伝統に磨かれた技は、時を越えて世界中の人々を魅了し続けています。ボヘミア独特の装飾に基づくデザインは、様々なガラス工芸の可能性を見出しました。チェコのガラス工芸家たちは、常に時代の感覚を取り入れ、しかも芸術の普遍性を見つめています。
ボヘミアガラスの神秘の輝きは、ただ人的に施されたきらびやかな装飾だけでなく、ガラスの特性、外観、光沢、カット、ガラスの表面の光の屈折、厚みの差による光学的効果などから生みだされています。
幾世紀にもわたって刻まれてきたボヘミアガラスの伝統芸術。この透明感ある輝きは、まさに「光」の芸術と言えるでしょう。
「森の湖の国」で育った天然の素材と600年の伝統に磨かれた技は、時を越えて世界中の人々を魅了し続けています。ボヘミア独特の装飾に基づくデザインは、様々なガラス工芸の可能性を見出しました。チェコのガラス工芸家たちは、常に時代の感覚を取り入れ、しかも芸術の普遍性を見つめています。
ベネチアガラス(VENEZIAN GLASS)
ベネチアガラスは、700年以上もの歴史と伝統を今に伝えています。もちろん、その名のとおり中心地がイタリアのベネチアであることは言うまでもありません。中世のベネチアは、世界貿易の中心となる過程で優れたイスラムのガラス芸術吸収することにより誕生しました。
ベネチアガラスを"ムラノガラス"とも呼びますが、ムラノとはベネチア本島から北東約1.5kmにある島で、ここでガラス製造が集中して行なわれていたため"ムラノガラス"とも呼ばれています。ここもあの有名なスワロフスキーと同じようにその製法の秘密を守るためにベネチア本土からこのムラノ島に工房を移転したのだといわれています。
ムラノ島で制作されるガラス芸術は15世紀には 高級工芸品として価値を持ち始め16世紀には、ヨーロッパ全土で広く受け入れられ、流行していきました。ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」は、12人のムラノのマエストロ(職人)がベネチアから連れ出されて製作したといわれています。
こうしてその名をヨーロッパ全土に広めたベネチアガラスは、主に貴族や富豪のために特別に注文されたテーブルウエアを製作するために、大きくそのスタイルを発展させました。 そして、アイスクラック、ダイヤモンドポイント彫り、レースガラス、クリスタルなど多彩なカットの技法が次々に生み出されました。近世では、ガラス文化をヨーロッパ全土に広め、一時はヨーロッパ市場の90%を占有するほど成長しました。
そして現在、熟練したマエストロ(名人)達は息子からそのまた息子へとこの技術を伝承し、昔と変わらぬ伝統の技を活かしながらベネチアガラスは創り続けられています。機械での大量生産では出せない本物の味わいがそこにあります。
バラリン工房 ※ル・ノーブルより
1440年創業以来、ベネチア・ムラノ島で伝統的なベネチアガラス技法を守り続けている老舗工房「バラリン」。現在15代目マエストロ、ジュリアーノ・バラリン氏率いるこの工房では、色彩豊かなオリジナルのカンナ(レース棒)から繊細で華麗なレースガラスを作り上げます。規則正しく並んだレース柄は見た目にも美しく、また、厚手に作られているので普段使いにも適しています。もともとは香水を入れるためのアイテムですが、今ではインテリアとしての役割のほうが大きいといえるでしょう。鮮やかな色目はお部屋においているだけでヨーロピアン調の雰囲気をかもしだします。
ベネチアガラスは、700年以上もの歴史と伝統を今に伝えています。もちろん、その名のとおり中心地がイタリアのベネチアであることは言うまでもありません。中世のベネチアは、世界貿易の中心となる過程で優れたイスラムのガラス芸術吸収することにより誕生しました。
ベネチアガラスを"ムラノガラス"とも呼びますが、ムラノとはベネチア本島から北東約1.5kmにある島で、ここでガラス製造が集中して行なわれていたため"ムラノガラス"とも呼ばれています。ここもあの有名なスワロフスキーと同じようにその製法の秘密を守るためにベネチア本土からこのムラノ島に工房を移転したのだといわれています。
ムラノ島で制作されるガラス芸術は15世紀には 高級工芸品として価値を持ち始め16世紀には、ヨーロッパ全土で広く受け入れられ、流行していきました。ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」は、12人のムラノのマエストロ(職人)がベネチアから連れ出されて製作したといわれています。
こうしてその名をヨーロッパ全土に広めたベネチアガラスは、主に貴族や富豪のために特別に注文されたテーブルウエアを製作するために、大きくそのスタイルを発展させました。 そして、アイスクラック、ダイヤモンドポイント彫り、レースガラス、クリスタルなど多彩なカットの技法が次々に生み出されました。近世では、ガラス文化をヨーロッパ全土に広め、一時はヨーロッパ市場の90%を占有するほど成長しました。
そして現在、熟練したマエストロ(名人)達は息子からそのまた息子へとこの技術を伝承し、昔と変わらぬ伝統の技を活かしながらベネチアガラスは創り続けられています。機械での大量生産では出せない本物の味わいがそこにあります。
バラリン工房 ※ル・ノーブルより
1440年創業以来、ベネチア・ムラノ島で伝統的なベネチアガラス技法を守り続けている老舗工房「バラリン」。現在15代目マエストロ、ジュリアーノ・バラリン氏率いるこの工房では、色彩豊かなオリジナルのカンナ(レース棒)から繊細で華麗なレースガラスを作り上げます。規則正しく並んだレース柄は見た目にも美しく、また、厚手に作られているので普段使いにも適しています。もともとは香水を入れるためのアイテムですが、今ではインテリアとしての役割のほうが大きいといえるでしょう。鮮やかな色目はお部屋においているだけでヨーロピアン調の雰囲気をかもしだします。
江戸切子について
江戸切子について 1834年(天保5年)、江戸大伝馬町のびいどろ屋(硝子屋)加賀屋久兵衛が、金剛砂を用いて、硝子の表面に彫刻を施した器を製作したのが始まり、と言われております。
江戸切子は、江戸期の優れたガラス工芸品として、我が国に現存する、江戸時代の伝統工芸品の貴重な制作技法です。誕生から150年余り、その美しさは 多くの人を魅了し、その心を捉えてきました。
江戸切子はもともと、透明なソーダガラス(透きガラス)に、切子細工を施し、手摺りと磨きで仕上げていく硝子細工でした。明治期以降は、薩摩切子の消滅もあって江戸においても色被せ(いろきせ)の技法・素材も用いられるようになるが、色ガラスの層は薄く鮮やかなのが特徴です。
加工法も従来の文様を受け継ぎながら、手摺りからホイールを用いたものに移行していきました。
現在では、当初からの素材であるクリスタルガラス等の透明なガラス(透きガラス)よりも、色被せガラスを素材に用いたものが切子らしいイメージとして捉えられ、多く生産されています。
匠の技が冴える 手作りの逸品
江戸切子の色合い、カット(彫刻)の美しさは、いつの時代も、多くの人を魅了し、その心を捉え続けてきました。
江戸末期に黒船で渡来したペリー提督が、その美しさに感嘆した、と言うエピソードもあります。
ガラス工芸品「江戸切子」は、使って楽しむも良し、贈り物として喜ばれるのも良し、お薦めの逸品。
江戸伝来の技術を継承し、熟達した切子工芸士が様々な伝統文様を基本に、工房独自のデザインにより、見る度に嬉しくなり、使う度に豊かになるような、手作りならではの逸品です。
結婚祝い、結婚式の引き出物や、内祝いの品、定年退職祝い、退職記念品、還暦祝い、喜寿・米寿等、長寿祝いのお祝い品、母の日、父の日、敬老の日等の際に、いつまでも愛用して頂ける「本物」「いいもの」を贈りたいときのギフトプレゼントとして、特に人気があります。
匠の手作りによる卓越したカット彫刻の技を、お楽しみ下さい。
江戸切子について 1834年(天保5年)、江戸大伝馬町のびいどろ屋(硝子屋)加賀屋久兵衛が、金剛砂を用いて、硝子の表面に彫刻を施した器を製作したのが始まり、と言われております。
江戸切子は、江戸期の優れたガラス工芸品として、我が国に現存する、江戸時代の伝統工芸品の貴重な制作技法です。誕生から150年余り、その美しさは 多くの人を魅了し、その心を捉えてきました。
江戸切子はもともと、透明なソーダガラス(透きガラス)に、切子細工を施し、手摺りと磨きで仕上げていく硝子細工でした。明治期以降は、薩摩切子の消滅もあって江戸においても色被せ(いろきせ)の技法・素材も用いられるようになるが、色ガラスの層は薄く鮮やかなのが特徴です。
加工法も従来の文様を受け継ぎながら、手摺りからホイールを用いたものに移行していきました。
現在では、当初からの素材であるクリスタルガラス等の透明なガラス(透きガラス)よりも、色被せガラスを素材に用いたものが切子らしいイメージとして捉えられ、多く生産されています。
匠の技が冴える 手作りの逸品
江戸切子の色合い、カット(彫刻)の美しさは、いつの時代も、多くの人を魅了し、その心を捉え続けてきました。
江戸末期に黒船で渡来したペリー提督が、その美しさに感嘆した、と言うエピソードもあります。
ガラス工芸品「江戸切子」は、使って楽しむも良し、贈り物として喜ばれるのも良し、お薦めの逸品。
江戸伝来の技術を継承し、熟達した切子工芸士が様々な伝統文様を基本に、工房独自のデザインにより、見る度に嬉しくなり、使う度に豊かになるような、手作りならではの逸品です。
結婚祝い、結婚式の引き出物や、内祝いの品、定年退職祝い、退職記念品、還暦祝い、喜寿・米寿等、長寿祝いのお祝い品、母の日、父の日、敬老の日等の際に、いつまでも愛用して頂ける「本物」「いいもの」を贈りたいときのギフトプレゼントとして、特に人気があります。
匠の手作りによる卓越したカット彫刻の技を、お楽しみ下さい。