ゴールデン・ウィークです。
程よく暖かでいい季節です。
過ごしやすいですね。
今回から、有田焼の林九郎窯を紹介します。
「林九郎窯」は、古伊万里の伝統デザインを現代に引き継ぐ有田焼を代表する窯元。
古伊万里の伝統とモダンなスタイルが融合された美しい工芸品を生み出しています。
本物の古伊万里をお手本とした、本格的な古伊万里様式です。
欧州の王侯貴族に「オールドイマリ」と呼ばれ愛されていたデザインを復活。赤や金を中心に、最大36色を使う絢爛豪華さ。花鳥風月を優美に描く繊細なタッチ。本物を欧米から里帰りさせ、見つめ続けてきたデザインと雰囲気が、「林九郎窯」には凝縮されています。
今日は、林九郎窯の食器、皿の特集です。
豪華絢爛な古伊万里柄。溢れ出す華やかさと高級感。ギフトや贈答品、おもてなしの品として相応しい伝統工芸の粋と言えます。
※下記の写真をクリックすると、美しい拡大写真がご覧になれます。
また拡大写真をクリックすると、その商品の販売サイトにジャンプします。
(売り切れの場合はご容赦下さい)
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日本磁器発祥の地、有田焼
有田焼とは、現在の有田町やその周辺で生産された磁器の総称で、江戸時代には、有田皿山で作られた製品が伊万里港から積み出されたために「伊万里焼」または「伊万里」と呼ばれました。
豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した文禄の役(1592)・慶長の役(1597)の後、朝鮮半島から多くの陶工達が渡来、彼らによって日本の各地で次々と開窯されました。
とくに有田では17世紀初頭に有田泉山で良質の磁器原料が発見され、日本で最初に磁器が焼かれたところです。
その後、寛永14年(1637)に鍋島藩が伊万里・有田地区の窯場の統合・整理を敢行し、現在に知られている有田皿山の体制を整えていったのです。
林九郎窯
古伊万里浪漫を追い求めて
17世紀に海を渡り、世界を魅了した古伊万里。
古伊万里の技術は、元禄時代に頂点に達します。この時代、染付を施した素地に金箔や金泥で文様を描く金襴手がもてはやされ、日本独特の文様が器を飾り、世界の人々を魅了しました。
林九郎窯ではその時代の古伊万里の美を追い求めて、古伊万里独特のデザインを現代に蘇らせました。
有田焼とは、現在の有田町やその周辺で生産された磁器の総称で、江戸時代には、有田皿山で作られた製品が伊万里港から積み出されたために「伊万里焼」または「伊万里」と呼ばれました。
豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した文禄の役(1592)・慶長の役(1597)の後、朝鮮半島から多くの陶工達が渡来、彼らによって日本の各地で次々と開窯されました。
とくに有田では17世紀初頭に有田泉山で良質の磁器原料が発見され、日本で最初に磁器が焼かれたところです。
その後、寛永14年(1637)に鍋島藩が伊万里・有田地区の窯場の統合・整理を敢行し、現在に知られている有田皿山の体制を整えていったのです。
林九郎窯
古伊万里浪漫を追い求めて
17世紀に海を渡り、世界を魅了した古伊万里。
古伊万里の技術は、元禄時代に頂点に達します。この時代、染付を施した素地に金箔や金泥で文様を描く金襴手がもてはやされ、日本独特の文様が器を飾り、世界の人々を魅了しました。
林九郎窯ではその時代の古伊万里の美を追い求めて、古伊万里独特のデザインを現代に蘇らせました。