今日はジメジメでとても蒸し暑いです。
雨は降ったり止んだりですが、梅雨らしいですね。
引き続き、有田焼の特集です。
今回は、有田焼を販売する賞美堂。その賞美堂のブランド、其泉(きせん)窯の作品を特集しています。
「其泉窯」は、賞美堂が後世に伝えたい価値ある商品作ることを目標に生み出されたブランドです。 温故知新─伝統の意匠を現代に生かす、時代をこえてきた美しさを有田焼を代表するメーカーとして有田焼の伝統とモダンを融合し、時代を超えた価値ある器を提案しています。
今日は、有田焼、賞美堂 其泉窯のカップ&ソーサーを集めています。
エレガントで気品溢れる有田焼。上品な雰囲気を帯び、贈り物としても喜ばれます。
※下記の写真をクリックすると、美しい拡大写真がご覧になれます。
また拡大写真をクリックすると、その商品の販売サイトにジャンプします。
(売り切れの場合はご容赦下さい)
※拡大表示された画像は、右上の「X」ボタンをクリックするか、escキーで元に戻ります。
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日本磁器発祥の地、有田焼
有田焼とは、現在の有田町やその周辺で生産された磁器の総称で、江戸時代には、有田皿山で作られた製品が伊万里港から積み出されたために「伊万里焼」または「伊万里」と呼ばれました。
豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した文禄の役(1592)・慶長の役(1597)の後、朝鮮半島から多くの陶工達が渡来、彼らによって日本の各地で次々と開窯されました。
とくに有田では17世紀初頭に有田泉山で良質の磁器原料が発見され、日本で最初に磁器が焼かれたところです。
その後、寛永14年(1637)に鍋島藩が伊万里・有田地区の窯場の統合・整理を敢行し、現在に知られている有田皿山の体制を整えていったのです。
有田焼とは、現在の有田町やその周辺で生産された磁器の総称で、江戸時代には、有田皿山で作られた製品が伊万里港から積み出されたために「伊万里焼」または「伊万里」と呼ばれました。
豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した文禄の役(1592)・慶長の役(1597)の後、朝鮮半島から多くの陶工達が渡来、彼らによって日本の各地で次々と開窯されました。
とくに有田では17世紀初頭に有田泉山で良質の磁器原料が発見され、日本で最初に磁器が焼かれたところです。
その後、寛永14年(1637)に鍋島藩が伊万里・有田地区の窯場の統合・整理を敢行し、現在に知られている有田皿山の体制を整えていったのです。